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死んだらどこへ行くのか?

人間死んだらどこへいくのか?
死んだらそれでおしまい?でも先祖の墓参りに行くよな・・・。
何思って手を合わすのだろうか?
お願い?現況報告?先祖に向かって、何をささやくのだろう・・・。
死んだらおしまいなら、先祖は存在してないはずなのに・・・。
あの世は信じていないのに、でも、やっぱり墓参りに行くのが大半だと思うが・・・。
信じていない人でも、身内が死を迎えたら、葬式をする。
そして、僧侶に死者を弔ってもらう。成仏してくれよと合掌し拝んでしまう。
死者のなにかしら(霊魂が)、どこかへいくものと・・。

自分が死んだらどこへ行くのか?
地獄、極楽浄土?仏教では死後の世界を、明確に説いている。
すなわち、それが「成仏」である。
しかし、多くの宗教は、死んだらすぐに成仏できるかのごとく、葬式の時に引導を渡している。
果たして、それだけで成仏できるのだろうか。
それほどのパワーが、葬式を司るすべての僧侶にあるだろうか?はなはだ疑問である。
死んだ人間を成仏させるようなパワーは持っていない。形式だけだと思いながら意味もわからず、
僧侶に任せてしまい、故人は往生したと、成仏したと思っているのが普通だろう。
初7日から49日まで故人をしのび、僧侶と共に、この世には居ないが、どこかにいる故人に向かって・・・?
お経をあげる。
誰しもが、何となくあの世とやらを、心のどこかにとどめていることを思慮することが出来る。
でも、だれもはっきりと口にはしない。反対に死んだらそれでおしまいだと。
生きているうちに、好きなことをして、思い残すことのない人生を過ごしたいと・・。
よくよく考えると、自分の住んでいる郷土、そして狭い日本、世界、地球、太陽系、銀河系・・・・。
夜空を見上げると、綺麗な星々が瞬いている。だだっ広い宇宙の存在を感じてしまう。
その中の小さな存在に気づくのは我が輩だけでは無いはずだ。
人間の世界のみが存在してるとは思えなくなる。
2500年前、釈迦は、真理を覚り、だだっ広いこの宇宙を「三千大千世界」と名付けている。
(ちなみに「三千大千世界」とは、説明が長くなるので、後日説明しようかな)
なんとちっぽけな器だろう人間て・・・、そう思うと死んだら・・・?
機会あれば続きを書きます。
合掌


t_taima4.jpg
當麻曼陀羅図
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人生50年から○○年?

信長が本能寺での最後に


人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如く なり。一度生を享け滅せぬもののあるべきかと特に好んで演じたと伝えられている


 「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。


とすると、下天に居たとなると、私は、1日と4.8時間しか存在していないことになる。


生まれるものは必ず滅する。滅してどこへ行くのかがわからない。


どこから来てどこへ行くのか・・?死んだら終わり?本当かな?


人が死んだとき、大往生やったなと言うが。


往生とは、往って生まれる事であるが、又、どこかに生まれるのかな?


阿弥陀経には西方極楽浄土を説いているが。(極楽・・極めて楽しい)


極楽に生まれるのかな、易々と極楽に生まれることが出来る?


そんなに簡単に生まれることが出来るなら、大僧正たちは、過酷な修行など不要ではないか。


三途の川を渡り、49日に、閻魔様の前に出て、罪状を告げられ、


生前の罪業に見合った世界に、振り込まれるらしいが、又、6つの門が目の前に有り、


自分が好きな門に入って良いらしいが、選んだ門は


、前世に自分がしてきた行いにふさわしところを選択するらしい。


殺生したものが選んで門に入るとそこは統括地獄に通じる門らしい。大変だ!。


虫一匹殺しても殺生だと仏教では言う。何匹殺したことか。大変だぁーーー。


懺悔をいっぱいしなければ・・・。










懺悔文


我昔所造諸悪業  がしゃくしょぞうしょあくごう


皆由無始貪瞋癡  かいゆうむしとんじんち


従身口意之所生 じゅうしんくいししょうしょ


 一切我今皆懺悔  いっさいがこんかいさんげ 


【懺悔文は華厳経(大方広仏華厳経)四十巻本の普賢行願品による】 


 【現代語意訳】
 
私が、過去に行ったあらゆる汚れた行いは、すべて、
はじめもわからない深い貪欲、怒り、愚かさ[の三毒]によります。
それは、体の行い、口の行い、心の行い[の三業]から生起したものです。すべてを、私は、いま仏に照らされて悔い改めます。



 


 我れ昔より造るところの諸の悪業は



皆な無始の貪・瞋・癡に由る。



身・口・意従り生ずる所なり、

一切、我れ今皆な懺悔したてまつる。
 



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