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人生50年から○○年?

信長が本能寺での最後に


人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如く なり。一度生を享け滅せぬもののあるべきかと特に好んで演じたと伝えられている


 「人間(じんかん)五十年」は、人の世の意。下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、住人の定命は500歳とされる。信長は16世紀の人物なので、「人間」を「人の世」の意味で使っていた。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」の正しい意味は、「人の世の50年の歳月は、下天の一日にしかあたらない」である。


とすると、下天に居たとなると、私は、1日と4.8時間しか存在していないことになる。


生まれるものは必ず滅する。滅してどこへ行くのかがわからない。


どこから来てどこへ行くのか・・?死んだら終わり?本当かな?


人が死んだとき、大往生やったなと言うが。


往生とは、往って生まれる事であるが、又、どこかに生まれるのかな?


阿弥陀経には西方極楽浄土を説いているが。(極楽・・極めて楽しい)


極楽に生まれるのかな、易々と極楽に生まれることが出来る?


そんなに簡単に生まれることが出来るなら、大僧正たちは、過酷な修行など不要ではないか。


三途の川を渡り、49日に、閻魔様の前に出て、罪状を告げられ、


生前の罪業に見合った世界に、振り込まれるらしいが、又、6つの門が目の前に有り、


自分が好きな門に入って良いらしいが、選んだ門は


、前世に自分がしてきた行いにふさわしところを選択するらしい。


殺生したものが選んで門に入るとそこは統括地獄に通じる門らしい。大変だ!。


虫一匹殺しても殺生だと仏教では言う。何匹殺したことか。大変だぁーーー。


懺悔をいっぱいしなければ・・・。










懺悔文


我昔所造諸悪業  がしゃくしょぞうしょあくごう


皆由無始貪瞋癡  かいゆうむしとんじんち


従身口意之所生 じゅうしんくいししょうしょ


 一切我今皆懺悔  いっさいがこんかいさんげ 


【懺悔文は華厳経(大方広仏華厳経)四十巻本の普賢行願品による】 


 【現代語意訳】
 
私が、過去に行ったあらゆる汚れた行いは、すべて、
はじめもわからない深い貪欲、怒り、愚かさ[の三毒]によります。
それは、体の行い、口の行い、心の行い[の三業]から生起したものです。すべてを、私は、いま仏に照らされて悔い改めます。



 


 我れ昔より造るところの諸の悪業は



皆な無始の貪・瞋・癡に由る。



身・口・意従り生ずる所なり、

一切、我れ今皆な懺悔したてまつる。
 



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