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他力の信心とは

一帖第三通
そもそも、ちかごろは、この方念仏者のなかにおいて、
不思議の名言をつかひて、これこそ信心をえたるすがたよといひて、
しかもわれは当流の信心をよく知り顔の体に心中にこころえおきたり。
そのことばにいはく、
「十劫正覚のはじめより、
 われらが往生を定めたまへる弥陀の御恩をわすれぬが信心ぞ」といへり。
これおほきなるあやまりなり。
そも弥陀如来の正覚をなりたまへるいはれをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心といふいはれをしらずは、いたづらごとなり。しかれば向後においては、
まづ当流の真実信心といふことをよくよく存知すべきなり。
その信心といふは、
『大経』には三信と説き、
『観経』には三心といひ、
『阿弥陀経』には一心とあらはせり。
三経ともにその名かはりたりといへども、
そのこころはただ他力の一心をあらはせるこころなり。
されば信心といへるそのすがたはいかやうなることぞといへば、
まづもろもろの雑行をさしおきて、
一向に弥陀如来をたのみたてまつりて、
自余の一切の諸神・諸仏等にもこころをかけず、
一心にもつぱら弥陀に帰命せば、
如来は光明をもつてその身を摂取して捨てたまふべからず、
これすなはちわれらが一念の信心決定したるすがたなり。
かくのごとくこころえてののちは、
弥陀如来の他力の信心をわれらにあたへたまへる御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべし。
これをもつて信心決定したる念仏の行者とは申すべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
  [文明第五、九月下旬のころこれを書く云々。]
1-13.jpg

******
一心にもつぱら弥陀に帰命せば、
如来は光明をもつてその身を摂取して捨てたまふべからず、
これすなはちわれらが一念の信心決定したるすがたなり。
うーーーん?分かるかなぁー。一般人に・・・・。
疑問1 一人で弥陀に帰命すればよいのかどうか?
    帰命の方法は?いつ?どこでどのようにすればよいのか。
疑問2 如来の光明によって摂取して捨てないとある。
    帰命したならばとある。
    誰がどのようにしてくれるの?
    一人でできる?
あはは、信心決定する事は分かったけど、
どこへいけば信心決定してもらえるのか?
答えは後の御文章に記されているぞ!!!!
楽しみ、たのしみ・・・・・。
なむあみだぶつ、なむあみだぶつ 合掌



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